アルファ・りょうま・りんたろうのお散歩日記
りょうま 3 闘病終章
8月半ばまでの2週間余りこんな様子が続いた。
庭の風、陽光、いつも影をつくってくれた年老いたもみじのおじいさん、懐かしい場所はすべてが優しく包んでくれた。
短い散歩もできた、遠くの海、よく遊んだ六甲の山を確認するように、りんもりょうまを気遣うようにゆっくりと歩いた。
でも、お腹の熱感が強くなり、散歩も出来なくなり次第に食べれなくなった。
若い担当医は熱心で誠実な若者だったが、熱感についての説明には歯切れの悪さを感じていた。
便も出にくくなっていたが、ついには水様便になった。何か起こっているに違いなかった。
担当医から手術時の培養で、カルバペネム系しか効かない耐性菌が出たと知らされた。
3度も手術をして、その度抗生剤を使った結果だった。その為にこんな細菌を持って帰る事になってしまった。
担当医は言った「耐性菌の炎症はあるでしょう、しかしお腹の中はがんも酷かったので・・・・」
つい事実を漏らしてしまったのだろう。
「そんなひどい状態で、どうしてあんなに複雑な手術をしたのだ」その時そう言う余裕はなかった。
取り敢えず抗生剤の治療が必要だった、かかりつけ医に入院して点滴を受けることになった。
最初の2日間、少し状態は良くなった、抗生剤が効いたのだろう。これでまた少しだけでも小康が得られると希望を持った。
しかし、3日目に病状は変わった。がんは容赦なくりょうまを蝕んでいたのだ。
かかりつけ医は肺と直腸の造影写真を見せてくれた。
肺にも影は広まり、直腸は周りのがんに囲まれて小指しか通れなくなっていた。
医師は言った「もうする事はありません」
「りょうま、頑張ったね、お家へ帰ろう」
見上げたりょうまはすまなそうに言った
「ごめんねとうさん、もうとうさんを守れないかも知れないよ」
苦しい呼吸のなかで、りょうまは自分で車に乗った。